เดลีลูกทุ่ง*デイリー ルークトゥン*Dailyluukthung

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กราบเท้าย่าโม - สุนารี ราชสีมา part.1

           muu thuu Mike jai ron hai
        件の告白本のタイトル・・・มือถือไมค์ ใจร้องไห้ =マイクを手に 泣き心。

 昨年来の何人かの歌手によるスナリー曲集アルバムがありました。と言っても2人か。ณาตาลี สีเพชร ナタリー・シーペッとフォン・タナスントンがどうしてスナリーの歌を集めたものを作ったのか?ということが、ココに来て一連のスナリーの動きから判ったのでした。ここ数ヶ月、スナリー関連の出版、旧作CD等のリプロが後を絶たなかったんですが、どうやら業界筋がここらで1回キリをつけよう、という事だったんでしょう。スナリー・ラーシャシマー、歌手歴ん!年として。。昨年もジンタラーとシリポーンもデビュー20周年(?)とした、区切りをつけましたが、今度はスナリーもという事なんでしょう。しかし。。。

 簡単なバイオを紐解くと。。生まれが2511年3月16日。言わずと知れたナコンラーシャシーマー県のアムプー・ノーンタイ(อำเภอโนนไทย)の出身ですね。9人兄弟(男6女3)の8番目だそうです。で、13歳の時に既にクルンテープに移り住んでいたようで、その後、デビューにつながって行く訳ですが。。さて、そのデビュー曲ですが『ลาโคราช 』(พ.ศ. 2527)となっています。今年が2551年ですから、デビュー何年と言うと。。24年と、なんとも中途半端です。

 さて、最初の彼女のヒット曲はというと2537年の『กราบเท้าย่าโม 』グラープ・タオ・ヤー・モーという事になっています。知る人ぞ知る?否、この国では誰でも知る、特にコラート出身者にはもう当たり前の歌ですね(Classic Thai song from Khorat. Have always loved this great song. /この曲に対してのYoutubeに載ったカキコミより。。)。グラープ・タオというのは、よく見かけるでしょ?帰郷した者がまず、母親の膝元にワイしながらこうべを垂れるアレですね。しかし、ヤー・モーというのは、伝説のローカル・ヒーローじゃなかったヒロイン、タオ・スナリーに対して、当時のタイ国王・ラマⅢ世が与えた称号で、県庁広場に立つ、スナリー像として有名ですね。要するに大ご当地ソングになります。先に出したデビュー曲からして“コラート”ですから、当時のスナリー・ラーチャシマーはローカル歌手でしかなかったんでしょう。まぁ、これは当たり前の話ですよね。流石のスナリーにしてもそのデビュー当時となるとということです。
 少し話が脱線気味です。この『グラープ・タオ・ヤー・モー』が2537年ですから、2551-2537=14。と、これも半端です。キリが良くないとまずいのか、どうか判らないですが、キリで言うと生まれた年から数えると、ジャスト40年になりますが。。だけど、生誕40年って、まだ元気な人には普通使わないんじゃないでしょうかねぇ~。どうも、釈然としないですね。。。

 気を取り直して、話を進めていきます。
写真の告白本。。否、半生記の方がいいかな、勿論、その本文には興味あること満載でしょうが、例によって、これは時間を掛けてじっくり読みたいですねとして置きましょう。555+ しかし、終わりの方でスナリーに訊く50の質問というのがありまして、ここをチョット掘り下げましょうか。55+
冒頭の質問1~3に対する、答えが同一なんです。はい、同一曲名なんですね。その質問は。。

1・・・一番、リクエストの多い曲は?
2・・・一番、お好きな曲は?
3・・・一番、歌って難しい曲は?

で、その曲名とは。。お判りですね、『グラープ・タオ・ヤー・モー』です。
この曲に関して、少し寄り道をしたいと思います。次のVを見てください。

       
この私にしても、えっ!?この白いストラト男って、もしやセーク・ローソーですか?というもんでした。セークって、コラート出身でしたか?(どなたか教えてください!)セークが、『グラープ・タオ・ヤー・モー』を歌っているという事も驚きですが、同時にローソーのコンサートを見に来ている少女たちのこの大合唱ににはもっと驚かされます。このコンサートがコラートで行われたものなら、なるほどとなるかもしれませんが、イエイエ!コラートで、だとしてもこんなにも知られた曲なのかと、更に驚くわけです。だってローソーのコンサートに来る様な観客ですからね。この人たち。。

さて、これは良くある、地元の高校で一幕。ここでも、『グラープ・タオ・ヤー・モー』が歌われています。

       



更にもう1曲。こちらです。。
        
 この歌手ご存知でしょうか?去年のアカデミー・ファンタジア(AF)4で最後の方まで残った一人で、ファーイ嬢で、AFでは1回、ルークトゥンによる審査の晩がありますが、そこでこのファーイ嬢が歌って人気を奪ったものでした。彼女もコラート出身なのかもしれませんが、この難しい曲を上手く自分のものにして、更にこの古い曲に新しい息吹を吹き込みいい結果を残したと言えないでしょうか。コレに気をよくして、AF後もこの曲を度々歌っています。

 さ~てと、この曲の主、スナリーは何回かこの曲をレコーディングしているようです。普通は最初のオリジナルが一番!となりがちですが、歌手としてより充実してきた頃のがいいかな?と思うこの頃です。これはいつ頃なのか。。。
       

また、続き書きます。。。

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コメント

o( - ii - )o

ピーさん。。
なかなか説得力がありますね。デビュー24周年という事でまとめましょうか。

  • 2008/10/02(木) 20:47:55 |
  • URL |
  • komta #-
  • [ 編集]

タイも干支があるので24年で2周りということじゃないでしょうか。王様も48周年、60周年は盛大でしたし。

  • 2008/10/02(木) 18:19:22 |
  • URL |
  • ピー #mQop/nM.
  • [ 編集]

o( - ii - )o

o( - ii - )o
>スナリーが、ローカル歌手というより コラートをタイ全土に広めた歌手という位置かと思ってます。

デビュー当時はそうだったと書いているんですが。。。

>「トゥン・サラブリー・ゴ・リオ・クワー ディオ・ジャ・トゥン・コラート♪」
そむちゃい氏にして、カタカナ表記ですか。。タイ語検索で出てきませんか・・・

  • 2008/10/02(木) 13:18:40 |
  • URL |
  • komta #-
  • [ 編集]

セークは、コラート出身です。
以前、LOSOのアルバムでもタオ・スラナリーという曲を発表しています。
確か3枚目だったかな?

スナリーが、ローカル歌手というより
コラートをタイ全土に広めた歌手という位置かと思ってます。
日本で言えば「青葉城恋歌」を全国に広めた「さとう宗幸」のような?
彼の場合は、その頃も今もローカル歌手ですが、スナリーの場合はこの曲以降、バンコクを中心に活動していたわけですし。

でも、曲に恵まれないのは可哀想なくらいですね。
レコード会社とのトラブルもありましたし。


ところで、コラートに関する曲で
以前から探している曲があるんです。

「トゥン・サラブリー・ゴ・リオ・クワー
 ディオ・ジャ・トゥン・コラート♪」
という歌詞の歌でかなり古いようなのですが、心当たりないですか?

  • 2008/10/02(木) 12:45:51 |
  • URL |
  • そむちゃい #vXeIqmFk
  • [ 編集]

タイは よく数え年でいいますよね。だから、24年は1年足して25年、区切りが良くありませんか。

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